色々あって此処

焦って不安になるけれど、笑えることはあるものです

早期療育と家庭の役割

近年発達障害への理解が進み、ネット上でも沢山の情報にアクセスできる。

「早期療育」の重要性がここ最近取り上げられている。

早期発見・早期支援には賛成で、障害に対して適切な支援をしていく事で、その子や周りが様々な場面で対処法を運用して暮らしやすくすることができるだろう。

 

ただ、支援施設に

「言葉があまり出てこないんです」

「切り替えが出来ないんです」

「友達と楽しく遊んで欲しいんです」

といったたぐいの1~3歳未満の子の相談が増えているように感じる。

そして、そうですか、ではうちで預かりましょう。と子供だけを通所させる場合には疑問を感じる。

「最近めっきり言葉が増えて!うちではYoutubeばかりなので、感謝します!」と聞いた時にはガッカリした。

 

療育は家庭の協力なしには成しえない。

言葉の発達や対人関係の発達にはまず最小限のコミュニティである家庭での関りがものすごく重要である。

おむつを替える時には声をかけて、

ふとした時には歌を歌って、そんな一コマがあるのだろうか。

療育の有り方として、1~2歳の子には親子で通所してもらいたいと思うし、早期療育という言葉にはそのような意味も含まれていると思う。

いや、そもそもこの年で、このつまづきで「療育」という言葉を使うのはどうだろう?

こころの基地はおかあさん じゃないけど、あたたかい会話のある家庭生活の支援をしたほうが良いのではないだろうか、と思う例もある。

どうか、氾濫する情報に不必要に振り回されないでほしい。

 

話を聞いていると、未就学児の受給者証は比較的簡単に作れるのではないかと感じる。そうなってくると、保育園と差別化する必要はあるのだろうか。

本当に支援が必要な子に必要な支援が届かない場合があるのではないだろうか。

未就学の時には手帳を持っていたのに、問題が本当に表面化してくる小学生になった頃には支援の継続を止めてしまう場合もある。

それは、支援の成果なのか、それとも元々必要とされていなかったのか。

 

この業界はまだまだ過渡期なんだろうなあと思うが、あくまで福祉の視点は失いたくない。発達支援ビジネスの一員にはなりたくないなあと思うのである。