子育てをしていると、自分の母親に対して
「ああ、こうやって育ててくれたんだね」と感謝するという話をそこかしこで聞く。
でも、私の場合は子供たちに接すれば接する程に
「こんなこと、お母さんはしてくれなかったな」と思う。
「しなかったな」じゃなくて「してくれなかったな」という所がしみったれているなと思うけど、感傷的にそう思うのである。
親ならこうあるべき、という思いに縛られていると感じる。
それは子供時代の自分に対しての救済措置のようなものだ。
自分の子供達とふざけあったり、抱きしめあったりする事で、40年前の自分を抱きしめているのである。
別に極端に問題のあった家庭で育った訳ではないけれど、笑顔溢れる家庭ではなかったと思う。
父はまだ子供で自分が大切だったし、母は仕事に燃えていていつも忙しかった。親の基準でこちらに非があることをした時にはひっぱたかれた事もあったが、当時の田舎ではそんな家庭はままあった。
父の言葉が粗削りだった事や、母が厳しかった事は別にいいのだ。
ただ、関心のない父や能面のようだった母の顔、気持ちの入っていない言葉たちは、私の心の深い所に粗悪な基地を作ってしまった。
母も父も当時は必死だったのだろう。
父は大人として生きていく中で、母は夫の両親と同居しながら好きな仕事を続けていく中で夫婦仲はひんやりと冷め、冷たく緊張感のある部屋で過ごすストレスに気づけずにいたのだろう。
両親の名誉のために言っておくが、厳しい状況から解放された2人は今とても仲が良い。
だけれども、そんな2人と過ごしていなかった私はいつもどこか不貞腐れていて上手に接する事ができないのだ。
大人だから、ちゃんと話はするしたまに顔も出す。
でもきっと彼らが期待しているものとは違うだろう。
子供の頃と同じように、期待には応えていないだろう。何となく聞こえるのだ。
「これだけしてあげたよね」という言葉が。
私は自分の子供達に欲しい物全部は買ってあげられないし、
沢山の習い事もさせてあげられない。
だけど、夕飯の時に下らない事で笑いあって、抱きしめて、好きだよと伝える事は出来る。どんなに仕事に忙しくてもそれくらいはしたいと思う。
子育てに正解はない。正解はその子によって違うから。
そんな訳で、今の私は自分にそうして欲しかったようにしてみるしかないのだ。