色々あって此処

焦って不安になるけれど、笑えることはあるものです

お直しすべきは下のほう

この数年間、隠しに隠した鼻と口。

日本人の顔隠し文化は、やんごとなき時代から続いて来たわけだけど、ここまで隠した期間はなかっただろうと思う。

それでみんな気づいちゃった。美しさって下半身で決まるってこと(顔の)。

 

私の若い頃は奇しくもギャルメイクの全盛期。ギャルじゃなかったけど、目はデカけりゃデカいだけかわいいという信仰めいた思い込みがありました。

立派な一重の私はアイプチをしたり、アイライナーを太めに引いて乾かして出来る偽二重で目をいじりたおし、写真を撮る時なんかは少し見開く独特の決め顔がありました。

そして結婚式の前には、ついにプチっと整形。

アイプチでくたびれた瞼に糸を入れ奥二重にしたけれど、15年経過した今、片方は元の一重に戻り、片方はそのまんま。ガッツリ幅を変えた訳ではないので全体の印象でいうと結局ほぼ元通り。

整体の先生に「体が歪んでいますねえ。ほら、目も左右違いますしね」

って言われた時には「そりゃそうよ。いじって片方戻っちゃったんだから。経年劣化ってやつよ」と思いながら「なるほど~」と言ってみた。

知らなかった!と言わんばかりに難しい顔をしてみるのも、罪悪感がない歳になったもんだ。

 

当時は、いかに自然に少しでも目を大きく見せるかを毎日考えあぐねて、時間をこれでもかと浪費していました。

でもね。

あの頃の私に言ってあげたい。

少し主張の強い鼻と、薄い唇。あなたの印象はそこよ、と。

 

目が小さくても細くても顔の下半身が美しい人はものすごく綺麗。

逆に目がどれだけ完璧でもマスクを取ると「あれ?」ってこともよくある。

人の美しさの構成要素に、自信や肯定感に溢れた内面、艶のある肌や髪などがある事も忘れちゃいけないけど、若い時分に分かりやすいのが造形であって。

更に我々日本人にとって目は感情を表す重要なツールでもあるわけです。

そこに執着してしまった結果、二重=優れている という勝手な先入観でコンプレックスを勝手に抱いていただけなんだろうなあ。

 

個人的に今はやっぱり歯が綺麗な人はとっても魅力的だと思います。

自信を持ってニッと笑える人でありたい。

これもまた時代のせいなのだろうか。

 

とにかく、これからは顔の下半身を磨いていこう。

 

不満はあるけど後悔はない

文句ばかり言って生きている。

一人の時間が欲しいとか、私だってパートじゃなくてフル勤務がいいとか、全部背負ってて身動きが取れないとか。ホルモンバランス整う暇がないとか。

世の母親の言う文句をまとめあげたら私になるかもって位のバリエーションで不満がある。

 

この前、本屋で〈1年後に死ぬとしたら〉みたいな内容の本を立ち読みしていて、

もし死が迫っている事を知ったらどうするかという事を考えてみた。

文句ばっかり言って生きているものだから、アレもしたかった、こうしたら良かったという類の思いが溢れるかと思ってよくよく考えてみたのだけれど、何も思いつかない。

いやいやそんなはずないでしょ。不満だらけなんだから。

人生の走馬灯をイメージして再度考えてみたけど、死の前にやりのこしたと言えるようなことはやっぱりなんもなかった。

 

若いころにやってみたいことはどん欲にやったし、行きたい場所にも行ったし、家族もいる。欲しかった家もあるし(中古だけど)、住みたかった場所に住んでいる。何者かになりたいわけでもないし、仕事に燃えるタイプでもない。

日曜に夫はいるし、子ども達はポジティブで優しい。

やり残したことと言えば、わかりやすく親孝行か。私の年齢にしてはおごる回数が足りてないかも。

 

結局のところ、現状に不満はあるけど過去に後悔はないという事に気が付いた。

人から見たらどうかは知らないけど、悲観するような事は特になかった。

過去は過去で、辛い事ややりきれない事が沢山あった気もするしその都度マイナスな発言もしたけど、そういうことは意外と癒えてしまっていて深みのある自分を作る要素になっていった。

 

そして10年後、今の不満たちも後悔には当たらないだろう。

 

悪くないってくらいでいいじゃないか。

はて、これは満足か思考停止か。

 

 

俗っぽくてけっこうだけど

お洒落な人のエッセイを読んでいる。

見た目だけじゃなくて職業から考え方から暮らしぶりまで、何もかもがお洒落な人だ。

文章から香る上質で丁寧な暮らしはどこを切り取っても美しくて誠実。

憧れると同時に近寄りがたさもあって後半ちょっぴり胸やけぎみ。

多分その原因は自分がひねくれているから自慢っぽく感じる箇所があるのだろう。

 

俗っぽさと心地よさって、けっこう紙一重だよなあと思う。

全てが美しい空間はポーっとして自分も美しくなった気がするんだけど、飲み物をこぼしたらどうしようとか、しまむらの下着履いている自分が見下されるんじゃないかとか、さっきカップ麺食べたなんて言えないや。とか、同時に益々ちっぽけな自分に気づかされる場所でもある。

 

ぜーんぶ素敵より、意外と良いね。とか、よく知るとお洒落なんだね、くらいの暮らしが私には理想。そして最も欲しい言葉は、「落ち着く」だ。

あなたといると落ち着く、ここに来ると落ち着く。そんな人にいつかなりたい。

人に安心感を与える人になりたい。

 

いわゆる成功者とかお金持ちの人の話を聞いていると「余裕のある人は優しい」ってことがよくわかる。

そういう意味で、自分ももっと頑張らなきゃなと鼓舞するために、完璧に素敵な人の本を読むのもたまにはいいんじゃないかな。

 

人生に赤を入れる

自分で決めたのにやってみたら苦しくなる時って、

結局人目を気にして決めた事だったりする。

社会的地位が高いとか、親が安心するからとか、カッコいいって言われるからとか。

そうやって選んだ事は大抵上手くいかなので、途中で路線変更することになるんだな。

ちょっと抱え込みすぎているなと思うので、とりあえず登録していたサイトを2つ退会した。趣味を広げようとしたものの、結局縁がなかった。

 

2024年は人生の加筆・修正・削除・見直し

更新をしながら心穏やかに過ごす事を最優先しようと思う。

怒ったら叱って、見放さない

子育てをしていると、どんなに優しくあろうと思っていても

どんなに理解しようと心がけていても

子どもの心の在りどころが自分の許容範囲を超えてしまって

怒りを覚える時がある。

 

私の場合、性格が似ている次女とぶつかる事が多くて、

なんでそんなすぐプリプリすんのよ!!とよくケンカになる。

次女は喜怒哀楽がハッキリしていて負けず嫌い。

何でも自分でこなすけど、それは何でも思い通りにしたいという心の表れでもあって、まだ幼いので上手くいかない事も多く、失敗したり否定されたりするとすぐにヘソをまげる。

特に家だとそれに気づいて欲しいから、物を投げたり階段をドンドン歩いたりする。

ウワー!っと大きな声を出すこともよくある。小3で。

 

そんな時、私は叱るタイプの母親です。

静かに座って、今の自分の態度で周りは動くと思う?と聞きます。

嫌な事があっても当たり散らしたら周りが困ります。と伝えます。

マニュアルでは、「〇〇ちゃんは、こうしたかったんだね。嫌だったんだね」だけど。

 

かつて自分がそうだったように、その小さな心の中のグツグツした感情はよく理解できる。そんなに先を考えられない幼さも知っています。

でも自分以外の人と共存していくのにはそれなりのルールがあると思っている。

 

ただ、勝手にしなさいとか、

もう知らないからねとか、無視するとか、そういう態度は取らないようにしようと思う。ほんの数分でも、どれだけこちらがムッとしても、見放されたと感じる行為は一生心に残ると思う。

きっとできるよと伝えて話はおしまいにしよう。

 

心は絶対に離してはいけない。

やっぱり紙が良い

つくづくアナログな人間だと思う

若いころからずっとアナログだと思う

 

桑沢に行っていた頃、時代はMac真っ盛りでイケイケどんどんって感じだったので

私も親に無心して当時確か30万近くしたPowerBookを買ってもらった

 

だけど本当は鉛筆の質感がたまらないし

絵の具を使えばうっとりするし

TAKEOの紙に興奮した

 

時が経ち、やっぱりデザイナーになれなくて保育士をしてるわけで

ブルーライトで目はしぱしぱする上に

ipadのデジタルイラストを見てもほとんど心躍らない

 

買ったばかりのスケッチブックの匂いを嗅いだ時、庭の土をいじっている時に似た感覚になった

綺麗で少々荒い紙に筆や鉛筆を走らせるのは、土いじり同様私にとってはセラピーだと思う

 

やっぱり紙は良い、紙が良い

なんもしてないのに忙しい43歳

最近、なんにも成し得ていないのに忙しい。

休みの今日はいつもの頭痛の病院に来て

寒くなったので娘の制服用のタイツを買って

ボイラーの交換業者を探して

ダイニングテーブルに積んである書類やらレシートやらを整理して

考え無しで使ってた生活費の仕分けをしたら

帰宅した次女を皮膚科に連れて行く

そのあと長女の習い事の迎えに行って

大慌てで夕食を食べたら多分9時

そこから後片付けをして次女の明日の準備や身支度を見守った後風呂に入ったら10:30

 

マジで、何もしてないぞという日々が最近多い

という事を言い訳にしてやるべき事から目を背けている気分に罪悪感

主婦の焦燥感

 

ビックリするけどさ、やるしかないのよ。

動くしかない。