台風が去った後は青空に黒い雲の断片が散らばっていて、風が落ち葉を飛ばしている。
色んな物が流されたような妙にスッキリした景色が私は大好きだ。
まだ昼寝をするような歳の頃、目を覚ますとこの景色の日があった。
匂いや音やその時の気分まで思い出すから不思議だなあと思う。
母親が外で働いていたので、私は殆どの時間をばあちゃんと過ごした。
ばあちゃんは農家のばあちゃんなので、畑仕事や家族の食事の準備や、季節ごとの家仕事に毎日追われていた。
それに小ざっぱりとした人だったので、孫との距離感が上手だった。
仏間に敷かれた昼寝布団の上で目覚めると家には誰も居なくって、子供の力では開かない南の古びた窓と北側のじいちゃんばあちゃんの寝室の窓は開けられていた。
そこには爽やかに風がぬけていて、
寝ぼけながら窓の外を眺めていると、強い風が大きな木を揺らし地面の葉を巻き上げていた。昼寝前にはどんよりしていたような気がする空は青空に変わろうとしていた。
ちょっとカビ臭くて線香臭いような部屋でしばらくボーっとして、死んだひいじいちゃんの白黒写真を見つめた後、急に寂しくなって
「ばあーちゃあーん!」と言ってみるのだ。
ああ、やっぱり誰もいないや。と思ったら居間のガラス戸をガラガラと開け、ばあちゃんのかじいちゃんのかわからないブカブカで土ぼこり色の長靴を履いて外にいく。
そうするとばあちゃんはたいてい納屋かハウスにいて
「あっちゃ~ん、起きたんだな」
と言ってフッと笑う。
40年近く前の日々がワッと目の前に現れたような気がした。
ばあちゃんは本当に素敵な人だった。
毎日を淡々と目の前にある事をただただ重ねて生きていた。
誰かに媚びることもなく、文句も言いながら、カッコつけずに生きていた。
いつも手ぬぐいのほっかぶりをしていて、紫のチョッキを着て長靴を履いて日焼けをしていて、ちっこいのにパワフルで、立派な入れ歯の入った口でニッと笑うのだ。
もしいまばあちゃんが近くにいたら何て言うだろう。
「あっちゃんしっかりやるんだぞ」とか
「子育てってのは大変なもんだ」
「くじけたらいけんぞ」かな。
どんな言葉だったとしても、押しつけがましかったり説教臭く感じることはないだろうなと思う。
私は今、欲を持ちすぎているのかもしれない。
台風が来て去るたびに時の流れを感じるけれど、
立ち止まって歩き出す充電の時間を貰っているのかもしれない。